La Strada『道』
My千穐楽でした。
やはり見たあとは、ホロホロと泣きたくなるような、自分に投影できてしまう人物ばかりで、悲しいけど救われるみたいな気持ちになります。
「道端の石ころにも存在する意味がある」イル・マットの台詞に、救われる。
海宝さんのお芝居が、とても良い。
道化を演じながら、世の中を嘲笑いながらも何かヒントをくれる存在で、いい人ではないけれど、場にいると落ち着く。
いろんな兼ね合いが絶妙で、好きだと思いました。
映画には登場しない、モリールとクラウンを登場させた意味について考えた。
物語とお客さんの架け橋のような存在として描かれてるのかな。
クラウンは、鬱々とした物語の中で、ホッと出来る瞬間を作ってくれている。
モリールは、人が皆向かう「死」への道筋を分かりやすく擬人化した存在なのかと思った。
昔の映画、かつ海外の作品でやはり表現や言い回しが日本人にはすんなりと汲み取りにくい部分があるので、そこを捉えやすくしてくれてるのだと思う。
ただ、モリールの存在については尻切れ蜻蛉な気がしなくもないかなと。
あれだけジェルソミーナの死への道を見守ってきて、また会えるとう言葉を残していたのに、死後、特に迎えに来るわけではなかった。
パンフレットには「死を司る存在」と明記されていても、舞台だけを見ただけでは、一体何者だったのか掴みきれない気がする。
最後、ジェルソミーナが綱を渡る先に静かに佇むとかあっても良かったのかな。
いや、蛇足かな。余韻から感じろということか。
物語が始まる前からステージ上に現れて、じっと客席を見つめているとき、何を考えているのか。
徐々に道の、サーカスの世界へ誘ってくれる役柄を演じきってくれた流司君。とても良かったです。
映像化されないとの事ですが、サントラだけでも難しいでしょうか。
「道」の出演が発表されてから、まだまだ先だと思っていたのに、始まったらあっという間だった。
明日で終わってしまうのが寂しいな。
ストプレ舞台を生で見るのは初めて(おちゃロクは実質ストプレな気がするけれど)、だったので、新鮮でした。
彼が感じ、考え、紡ぎだしたモリールという役を、大好きな日生劇場で観られて、嬉しかったです。
これからもいろんな役柄を演じていく君を、もっともっと見たいと思いました。
もちろん音楽活動もね。
少し早いですが、本当にお疲れさまでした!