好きなことを無理せず楽しみたい

観劇や音楽鑑賞等について思ったことをそのまま書いてます。無理せず楽しむのがモットー。

家族ゲーム ♯2

 

 

 

 

 


今回も面白かったー。




出だしのラジオ体操、笑顔なんだけれど目が死んでるし、瞬き一切しないし、表情が変わらないから恐怖でしかなかったです。キビキビ動いてるのがロボットみたいでした。

ちょっとコメディ調に始まったのですが、内容はヘビーでしたね。

いじめはエスカレートしていくし、教師はいじめに気付いてくれない。家族も茂之との対話を避けて声を聴こうとしない。現代の家族の様子を表してるのかもしれません。子どもに嫌われたくないから、本気で子供を叱ってやれない親が多い。教師も同じ気がします。生徒やその親の顔色を窺ってばかりで、生徒を叱ってやれない。他者に対して鈍感になっている。
子どもと本気で向き合おうとする大人がいないという状況に腹立たしさを感じます。


だから、荒野先生は弱者が自分が強くなって助けを訴えなければならないということを言っているのでしょう。周りが変わってくれるのを待つのではなく自分が周りを巻き込んで変えていく強さを持って欲しいと。受身のまま周りが理解してくれないと嘆いてばかりで立ち止まっていても意味がない。部屋に引きこもっていても何も状況は変化しないと茂之に繰り返し伝えているのでしょう。やり方がかなり荒療治ですけれど。いじめのシーンはエグかったです。スタンガンのシーンは見ていられませんでした。あれは、学生や実際にいじめの経験がある人は見ていて大丈夫だったのでしょうか?


いじめっ子をけしかけて茂之を追いつめているのも、意図があってのことだと思いますが、その本質が分からないです。単純に茂之を強くさせるためにやっていることかもしれませんが、茂之が荒野の言うことをきかせるためにいじめっ子を使って誘導してるようにも思えますし・・・。


最後、クラスメイトに圧力をかけていじめを止めさせますが、あれでは本当の解決にはならないでしょう。茂之はずっと腫れもの扱いになると思うし、生徒が保護者に荒野先生の行動を伝え、茂之を意図的にいじめさせてたと分かったら非難を浴びるのは茂之側ですよね。今後さらなる波乱が待ち受けていそうです。


本当に荒野先生のどれが本当でどれが偽物で、意図がどこにあってってのが見えてこなくて、一つ一つ紐解かれていくのが楽しみです。本質は優しいのか、冷徹な人間なのか分かりません。過去を回顧するようなシーンもあって、荒野先生は元々教師だったのか、友人がいじめの果てに死を選んでしまったのか、とても気になりました。

「死を意識して、初めて生きている実感が沸く。  生きている実感があって、初めて人に優しくなれる」
死を選んで欲しくないってメッセージなのかもしれません。


また、家族一人ひとりのキャラクターも見えてきましたね。
スタンガンで弟が痛めつけられているのに止めに入らず帰ろうとする慎一。万引きしたり、物事を荒立てないよう茂之に学校を休ませようとしたり、どこか捻くれています。今後どのように変わっていくのか気になります。


お母さんも、どうしようもないですよね。良妻を努めようとしていますが実際には家族を見ることができていない。自分のことしか考えられていない母親。この人こそ何がしたいのか分からないです。子どもの助けの声を一番聴けるようなポジションにいるのに聴こうとせず、CD聴いてたり、向き合うことから逃げ出したり。


父親も、家族より会社での自分ですね。基本的に人を見下している感じがします。会社に逃げ場を作ってる。しかも、家族で面倒事が生まれて困っているときに自分に憧れているという美女が現れ、そっちにのめり込んでしまっているというダメっぷり。


この3人も自分の思っていることを素直に表現していませんよね。本音と建前がある。言ってしまえばもっと分かりあえるのに、どこか遠慮して言わないから分かりあえず噛みあわない。結局自分のことばかりで相手を見てあげられない。


浅海さんも一体どういった意図があって父親に近付いているのでしょうね。もしかして裏で荒野先生と繋がっているのでしょうか。そうだったら、面白いですね。完全にこの家族は荒野先生の手のひらで転がされてる状況です。


これからの展開が楽しみです。あんまり風呂敷を広げ過ぎてまとめられなかったらどうしましょう。脚本家さん、監督、頑張ってください。